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1、依存と異常事態
こうして二合や三合のアルコールが身体全体に入っている状態でも、ほぼ正常な状態を
保てるようになった身体は、逆に言えばアルコールが二合、三合入っている時の方が
正常な状態になってくるのです。こんな人の場合には、むしろ、身体にアルコールが
入っていない時の方が異常事態になってきます。そこで禁断症状(離脱症状)が出現
してきます。この状態をアルコール依存状態と言います。飲酒欲求が極度に強くなり、
眠れなくなったり、気分が落ち着かなかったり、カッとなりやすく、不安感や緊張感が
おこったり、ひどい時は幻覚や幻想、てんかん発作なども出現します。これは精神依存と
言います。一方、手足が震えたり、発汗、発熱、筋肉の強直がおこったりします。これを
身体依存と言います。要するに、アルコールが身体に入っていないと精神依存や身体依存の
禁断症状が出現して異常事態が発生するわけです。健康な人の場合には、身体にアルコールが
入っている時が異常事態ですが、アルコール依存症の人にとっては身体にアルコールが
入っていない時の方が異常事態になるのです。
2.依存の治療
こうして出来た依存は二度と元に戻ることはありません。今のところどんな薬を使っても、
何年たっても出来てしまった依存が消えることはないのです。
アルコール依存だけは元に戻ることができません。ですから、アルコール依存症の治療とは、
依存を無くするための治療ではないのです。依存は一生ついてきますから、もう二度と
アルコールを飲まないことが治療なのです。それが「完全断酒」であります。少々ならば
良いだろうと多くの患者さんか「節酒」を考えて一口、二口飲んでみるのですが、
三合のアルコール耐性ができて依存になった身体の人は結局三合まで飲んでしまいます。
もうブレーキはきかないのです。どんなにうまく「節酒」しようと努力してみても
同じことのくり返しで、結局、そのたびに入院になってしまいます。ですから、「節酒」
などというテストは決してしてはなりません。最初からブレーキの故障している自動車に
乗って走り出すようなものなのです。
3.、一滴でも飲んではいけない第一の理由
では、何故「節酒」ができないのか、何故一滴でも飲んではいけないのか、
それは二つの大きな理由があります。
第一は精神的原因です。
例えば三合のアルコール耐性ができた人に「一合に決めて飲みなさい」と節酒をすすめたとします。
三合入る身体にとって一合だけでは、当然二合の欲求不満が残ります。二合の飲酒欲求を
抑えなければなりません。二日目は四合の欲求不満、三日目で六合、四日目で八合という具合に
欲求不満はつのるばかりです。精神分析のフロイトは精神的症状や異常な行動の原因は欲求不満に
あると説明しています。私たちの心は弱いもので、このような欲求不満にはそうそう耐えられません。
しかも依存症の人の異常な飲酒欲求は本能である食欲や性欲などより何倍も強く、
自分の力ではコントロール(抑制)できないほど強いものです。ですから、飲酒では間もなく
耐え切れなくなって最後には爆発的に大量の飲酒をしてしまうことになります。
これが断酒でなければならない第一の理由です。
4.、一滴でも飲んではいけない第二の理由
第二の理由は身体的理由です。
断酒して禁断症状が出て、それが退去するのには一週間も
あれば十分です。禁断症状が消えて、身体にアルコールが入っていない状態に身体が慣れて
くれば、身体依存いわゆる身体的飲酒欲求はほとんど意識されなくなります。患者さんが
入院して酒を止めてしまえば、案外楽に飲まずに過ごせるのはそのためです。
しかし精神依存はそう簡単に消え去ることはありません。要は、精神的飲酒欲求との
戦いが始まるわけです。治療によって患者さんの心の中には断酒しなければならないという
断酒の心が成長してきます。退院する頃までに断酒の心が100で精神依存が80であれば、
これは断酒が継続できることになります。ところが万一、一滴のアルコールを身体に入れれば、
それまで眠っていた身体的依存に火を着けることになって身体依存がゼロから100に
なってしまいます。こうなれば断酒の心が100でも戦う相手は精神依存の80と身体依存の
100ですから100対180の戦いで負けてしまうのが当然です。
以上のようなふたつの理由からアルコール依存症の人が節酒することは最初から不可能なことなのです。
ですから、治療の最初から一滴のアルコールも飲んではならないことを少しの未練もなく、
きっぱりと決断し、あきらめてしまうことです。そして、一生飲まずに、幸せな人生を
豊かに楽しく生きることを決断してほしいのです。